がんばっていきまっしょい(映画)の神話解釈

こんにちは。テレパシー情報屋の加藤です。
いろいろなフィクションをを神話・魔術・呪術・終末の4つの観点から解釈するシリーズでございます。今回は「がんばっていきまっしょい」なる愛媛県の高校を舞台とした、ボート部映画を解釈します。田中麗奈主演で、Shall we ダンス?とかウォーターボーイズとかを作ったプロダクションによる映画です。
※この記事はネタバレあるので注意
- 神話解釈とは「人類が本来の食性を失ったことで発生した問題を解決するために社会的弱者になるくらい努力してくれる存在(神)」を作り出すために作られた洗脳・マインドコントロール用の物語の解釈
- 魔術解釈とは「ある法律の専門家と接触できない状況で、ある法律を意図的に守ることでテレパシーを通じて超能力を融通してもらう術」の解釈(魔法なら法の解釈)
- 呪術解釈とは「卑しい者たち(貴人殺害魔や下種魔と呼ばれる者たち)が高貴な存在を陥れるために悪魔などと契約を結び、バイアス・無知・圧力・防衛機制・詭弁・事件・宗教・哲学・論理・事実等を利用して他者に害を与える術」の解釈(現代人が論理を優先して、直感を否定するのは呪術のため)
- 終末解釈とは「世界の終焉に際しての崩壊の速度、安全度、苦痛度、幸福度等や復活する者、裁かれる者、消滅する者、異世界に向かう者等」についての解釈
- 英雄、奇跡、計略、推理などの解釈も重要かも?
- ある一人の脳の中には何億もの作品を視聴するユーザーがいる(らしい)ので、表面的な非テレパシーユーザーに受けているかどうかを判断基準にしてはいけない。
- 作者の作った裏設定がなんであるかは考慮せず、作品だけから得られる情報に基づいてユーザーがどのように解釈するかの視点から解釈する。
- 人間性に基づいて推理し、作者の作った設定や裏設定が人間性に基づいていなかった場合は駄作と断定する。
- 作者がクオリア(何かを認識した時の体験の質)や信号刺激や超正常刺激等を濫用し、ユーザーに洗脳・マインドコントロール行為をしていた場合は人類の敵であると断定する。

次回記事:四月物語(映画)の神話解釈
がんばっていきまっしょいの解釈
1998年10月に公開された映画のがんばっていきまっしょいを見ました。1990年代の映画には当時の日本の様子が保存されているとテレパシーが述べていたことが見ることになったきっかけです。現代の日本はサービス業に傾倒しており、1990年代以前の状態に戻る必要があるとテレパシーは述べていました。テレパシーから日本人は製造業に強いと聞いたこともあります。
1976年から1977年を舞台としたこの映画ではちゃらちゃらした人たちが一人も登場せず、タイトルにあるように物事を努力や根性で解決しようとします。1980年代に入るとバブル景気でちゃらちゃらし始め、90年代に入ると徐々にダウナーになり、2000年代に入ると萌え萎え言い始め、2010年代になるとゲスな臭いがし始める、その前の出来事のようです。
- 総合評価:1970年代日本のテレパシー情勢を描いた傑作。
- 自助努力によって死後の不幸を無効化する話
- 主人公の悦子(悦ネエ)は最後の審判者的存在
- 実は悦子は別に自助努力をする必要がないのに、自助努力をしている面がある(悪魔によってそうされている)
- 悦子(現代人)たちは理由のない肉食の罪などを犯しているため、死後の待遇が基本的に悪い
三途の川の渡り賃はいらない
映画としての完成度は傑作と言える内容です。特に神話・魔術・呪術・終末解釈をすると面白い原因がわかります。
登場するボートは死んで肉体を失った後、人格や記憶等を別の脳に送るための送信媒体を象徴しているようです。テレパシーは実際に悦ネエたちのように自主的にボート(脳と脳の間の情報送信活動)を始める者たちが我々の脳内にはいると言っています。その者たちからするとこの映画は「楽しい」ものではないそうです。「面白い」と言うように言っていました。
自分でボートを漕げるのだとすれば三途の川の渡り賃はいらないでしょう。
地元の決勝戦で負ける
悦ネエたちが最後地元の決勝戦で負けてしまうときの様子が気になりました。
- 悦ネエは貧血になって意識を一瞬失い
- 「お嬢さん」と呼ばれたイモッチは手のまめが潰れて血を流しながら漕ぎ
- 鉄仮面だったダッコは負けたとき一番悔しそうな表情を見せ
- 嘘をついてでも悦ネエと友達になろうとしたリーは、当初の存在感を完全に失い
- 男子からかわいい&とろいと言われていたコックス(舵手)のヒメは大声で指示を出すようになった
悦ネエは無意識に死後の予行演習をしている可能性があります。意識は死後に行ってしまったのかもしれません。もしくは死後意識すら消失して波に流されそうになるだろうことを暗示している可能性もあります。
イモッチは一番太っている(≒食べている)ため、一番肉食や屠殺の罪を問われ、血を流すことになったのでしょう。
テレパシーの世界において罪を犯した者たちには鉄仮面をかぶっている余裕などどこにもありません。
死後の世界では頼る人がいるかどうかが重要です。リーの母親は死に、父親はほぼ海外なので頼る人がいません。友達に頼るしかない弱い立場なので、嘘をついてでも悦ネエに近づいたようです。反動で主張を無意識に少なくしているのでしょう。
ヒメは見た目もやっていることもアイドルのようです。この登場人物たちかこの登場人物たちが背負っている人たちは基本的に死後は虫並の待遇(おそらく後者が正解)なので、アイドルみたいな人が来たのでしょう。アイドルと虫(のようなファンたち)との間には関連があるとテレパシーは言っています。
畜生界の壁
最後のレースで予選、準決勝は勝ち、決勝で負けたことから言って今のところ三途の川のうちの2つまでしか渡れないことを表しているようです。 地獄界、餓鬼界までは越えることができたものの、畜生界は越えることができませんでした。やはり肉食と屠殺の罪が重たいようです。あとほんの少し何かが違っていると勝つことができそうでした。
- 悦ネエが貧血やぎっくり腰にならなかったなら勝てただろう
- コーチが最初からやる気だったのなら勝てただろう
- イモッチの豆が潰れなければ勝てただろう
- 最初から女子ボート部があったのなら勝てただろう
- 男子(関野)がもう少し協力的だったのなら勝てただろう
これらのほんの少しの足りない要因は、脳の中で働いている元畜産動物たちが意図的にそうなるよう仕向けたのです。誰が自分を無意味・無反省に食べる者たちに協力すると言うのでしょう。
もしも肉食をやめたのなら
動物を殺して食べるので、動物たちは協力してくれなくなります。逆に食べないのなら協力してくれるのです。ちょっとやそっと協力してくれるのではなく、むちゃくちゃ協力してくれるようになります。肉食動物にも協力してもらいたいのなら、肉食動物にとって有毒であることが多いネギ科の植物を食べないことが重要です。肉食動物たちは想像を絶するくらいネギ科の植物を嫌っています。
肉を食べる猫や豚などは「けして裏切らない」ことで有名です。生前肉を食べてしまった代償として、死後は絶対服従要素が入ってくるのでしょう。
具体的な何の動物が三途の川を渡ることに協力してくれるのかはよく知りません。おそらく魚でしょうか?
- 牛:サイコキネシスが改善する
- 豚:夜に見る夢が改善する。犬も似たような感じか?
- 猫:立派な武人のように戦ってくれる。主人に代わって死んでくれることもある
- 鳥:地球環境を破壊する存在と戦うことで有名
- 魚:よく知らず
鳥の中でもカラスが重要です。次に人類と同じくらい高い知能を得るのはカラスだと言われています。環境活動家の中でも超過激派になるそうです。これは恐竜族(鳥も恐竜の一種)が5度目の大量絶滅の原因を作ったことに関係があります。
動物を殺して食べることをやめるのなら、あんなボートに必死になる必要もないでしょう。
悪魔による関係の分断
悦ネエは保育園の時幼い頃からの知人である関野によって、ジャングルジムから転落させられた過去があります。悦ネエはそのことを忘れていました。この出来事や子どもの頃の関野がぶくぶく太っていて泣いてばかりいたことが原因で悦ネエは関野のことを「信用しきれない」「頼れない」などと無意識に感じているのです。
関野もボート部にいます。しかも1年から大会に出場するくらい活躍しているのです。物語の中盤で悦ネエが貧血に倒れた時、真っ先に関野はかけつけて保健室まで運んでくれます。目を覚ました悦ネエが自力で家まで帰ろうとすると、関野は駐輪場で待っており、悦ネエを家まで送ってくれるのです。
この出来事によって悦ネエは関野についてまんざらでもなくなりました。関野が新体操部の桃子から何か(おそらくバレンタインチョコ)を渡されているのを目撃した途端、悦ネエはイライラし始めます。送ってもらった日に悦ネエは関野から手袋を借りていました。悦ネエは手袋を無造作に関野の自転車のかごに投げ入れ、そのまま帰ってしまいます。
この出来事は悪魔たちによる関係の分断です。子どもの頃関野が太っていたのも、泣いてばかりいたのも、ジャングルジムから転落させたのも、すべて悪魔たちによる計略だと言えます。こうやって不信の種を幼少期からまいておくことで、適切な関係が失敗に終わるようにするのです。
最後の審判者かも
悦ネエはジャングルジムから転落させられたとき、先生と一緒に謝りに来た関野のことをけして許しませんでした。悦ネエはいつだってどこか関野のことを見下しています。非常に強情であり、関野からは最終的に「意地の張り方が好き」だと言われてしまうのです。
よく考えてみると関野がボート部にいたのも、悦ネエがボート部に関心を持ったためだったのかもしれません。本当はずっと悦ネエのことが好きだった可能性があります。しかし、あまりにも意地を張られてしまったので 「意地の張り方が好き」 と言うことで恋に終止符を打ったのかもしれません。
テレパシーは悦ネエのようになってしまうと、実際に男性と交際することが難しくなると言っています。代わりに仕事の面では大きな功績を残せるくらい活躍できるそうです。
意地の張り方うんぬんの話から言って悦ネエは最後の審判者の一種でしょう。多分閻魔大王系かなー。まぁ、私もそうなんですけどね。関野のことを「許さない」まま、ずっと生活しているものの本当に「許さない」相手は悪魔たちであることに死んだ後ようやく気がつくでしょう。死んだ後になってようやく「もっと関野に優しくすればよかった」と思うのです。
悦ネエたちは恵まれない状況でずいぶん努力しており、死後の待遇を生きている間に体現しているように見えます。よって死後の待遇は畜生よりもよいでしょう。
コーチの存在
コーチはすべての登場人物の中で一番垢抜けていて、同時にダウナーな存在です。まるで日本の未来から来たかのように見えます。日本選手権優勝までした人物なのにまるで指導にやる気がありません。東京で何かあって故郷に戻ってきたとイモッチは噂話します。
そんなコーチもぎっくり腰で練習できなくなった悦ネエが自分には「ボートしかない」ことを告白すると、高校時代自分もボートしかなかったことを思い出したようです。「それでよかった」とさえ言います。環境さえ整っていたのなら悦ネエも日本選手権で優勝していたかもしれません。1から部活を始めたことで環境がなかったため、ボート選手として大成しなかっただけです。
彼女は悦ネエの本来の姿(大成するだけの実力がある)と未来の姿(望んだ幸福が手に入らない)を表しているかもしれません。
※追記1:テレパシーによると悦ネエは後にボートをやめてしまう相場だそうです。その後売春をしてしまうと言っています。売春はこの場合象徴表現であり、自分にダメージが出る法的にぎりぎりな活動を行ってしまうとの意味でしょう。
※追記2:テレパシーによるとコーチは東京でかなりの犯罪の被害に遭ったと解釈する相場だと言っています。古代の商人が使っていた詐欺的なテクニックを使ってかわいい女の子を汚い男の(以下略)。みたいなことを言っていました。ただしその古代の商人のテクニックを使うと、使った人は来世の待遇が大変なことになるようです。この出来事によってコーチは死後にほかの脳へと移動する過程において積極的になれず、孤立する可能性があるとテレパシーは言っています。ただしダッコが闘志を燃やして「私が連れてくわっ!」と言うそうです。
悦ネエのパブリック
進学校に合格してしまった悦ネエは自分がやりたいことがわからなくなり入学式の一日前に家出します。海を眺めていた時にたまたま見たボートが気になったことがきっかけでボート部を始めました。この時防潮堤(?)から飛んで降りるシーンは安全そうに見える場所からの脱却を表しそう。女子生徒が飛び降りられる高さの防潮堤が役に立たないことは東日本大震災によって明らかになりました。
悦ネエ初登場時の構図が印象的です。悦ネエの頭の上をボートが滑っていくように見えます。
通うことになった学校の校長は入学式(始業式?)でごちゃごちゃと難しいことを述べず簡潔な理念を述べるような校長です。その後生徒会長による「がんばっていきまっしょい!」の一言で気合いを入れる妙な風習があります。生徒会長が生徒を代表してスピーチすることもないです。最初はその様子に悦ネエたちはぽかーんとしました。しかし2年目からはすっかり慣れて、 「がんばっていきまっしょい!」 の後に「しょい!」と言えるようになります。
教師は進学校らしく勉強のできない生徒(悦ネエ)のことを、ネチネチとなじります。「俺の授業をなめるな!」と怒鳴るシーンが印象的で、まるで授業に命をかけているかのようです。気合が違います。昨今こういった教師は否定されました。悦ネエが小テスト(?)に手も足もでないことを雪だるまの絵で表現していると、その教師は雪だるまのことをベルばらのオスカルだと勘違いします。
漫画やアニメに関心などなくて好感が持てる人物です。仮に優しそうだったとしても漫画やアニメに関心がある時点で無意識に非常に有害なことをしてしまいます。このようにサービス業の要素がなく職人的に授業をする教師が悪魔たちにとって脅威だったので、アニメ業界は時間をかけて駆逐したのでしょう。
悦ネエのプライベート
悦ネエの父親は仕事一筋の様相です。母親も祖母も姉も優秀な雰囲気で家出したことについて取り合ってくれません。なんでもこういう頑固一徹に仕事に励む男の方が女性からいろいろ文句を言ってもらえるそうです。関野などの男子ボート部員たちは練習をサボることが多く見られました。熱心ではないことによって表だって女子から文句を言ってもらえなくなっているようです。
※追記3:京大に受かった姉は妹の悦ネエに「少女なんてつまらない」との少女論を語り、落ちこぼれないように説得されます。テレパシーはその少女論に対して「少女をなめるな!」と反論すべきだと述べています。
映画の中では意地を張れなくなった若い男性と、その反作用で意地を張るしかなくなった若い女性の関係がうまくいかなくなっています。1976年~1977年当時の世相を表現しているようです。アニメの放送が始まった1963年から13年~14年経過した時期でもあります。アニメの毒がじわじわ効いてきたのかもしれません。この映画のスタッフにはぜひアニメの放送が始まる1年前の1962年にも関心を持ってもらいたいです。
調査された範囲内で1962年は米の消費量が最も多いので穀食主義を標榜するこのブログとしては気になっています。
※アニメ業界の真実(コピペ)
アニメ業界は信号刺激と超正常刺激を使って視聴者を本能レベルから支配しています。
- 信号刺激:動物が本能行動を起こす鍵となる刺激のこと。鍵刺激とも言う。
- 超正常刺激:動物の本能行動を起こす鍵となる、日常ではありえない刺激のこと。


※同じ人が書いた絵です
アニメ業界は1秒間に6回から24回も本能行動を起こす刺激をあなたの脳に入力することができます。6回から24回と言うのはアニメを見てるときに画面に表示される絵の枚数です。専門家の人たちも完全に洗脳されているので、テレパシーを使える私以外誰もこの洗脳に気が付くことすらできていません。30分枠のテレビアニメで2500回から3000回程度は入力され、1時間半のアニメ映画で5万回から10万回程度入力されます。
また、アニメ業界はクオリア(何かを認識した時の体験の質)の窃盗とそのための殺害・監禁などの洗脳犯罪行為も行っています。アニメからひたすら真新しい体験の質、大切なものを見た時のような体験の質、清らかなものに触れた時のような体験の質、無条件に心がぱっと明るくなる体験の質などが感じられるのはアニメ業界の洗脳犯罪の結果です。無実の人や動物や植物や事象などからアニメ業界は洗脳犯罪行為によってクオリアを奪っています。

👉アニメ業界の人たちが有害すぎて、来世は地獄にも行けないことがテレパシーで非常に有名。それについては他の記事でさんざん書きました。よかったら見てね☆
関連ページ:テレパシーの警告! アニメは核兵器よりも危険!
関連記事:あなたが引きこもりではない7つの理由|あなたは引きこもりではない その01
1998年のボート部
映画の冒頭は1997年か1998年だと思われるシーンから始まります。海辺に建てられたボート部の建物は朽ちて果て、悦ネエたちが乗っていたボートは砂に埋まっていました。何があったのかと言うと、10年以上前にボート部が湖に移動したのです。湖は実際に競技が行われる場所なので、待遇が向上したとの意味でしょう。
建物の内部には新聞記事が貼ってあり「全国大会」の文字が見えます。その周りにはボートに乗っている生徒たちの姿が映った写真が複数あり、そのうちの一枚が悦ネエたちだったのでした。建物は取り壊されそうになっており、ボート部創設に関わった者たちのことが忘れ去られようとしているようです。果たして男子たちの活躍だけで部活動の待遇が改善したのか、それとも女子も全国などに行ったのでしょうか。
写真からはボートに乗っている生徒たちの写真複数に写っているのが男子なのか女子なのかわかりませんでした。女子が活躍しただろう状況証拠はあります。あの日本選手権で優勝した優秀なコーチが最後の最後になってやる気を見せ、かつ決勝で負けたことに悔しそうな表情を見せていました。ほかに状況証拠はあります。後輩の大西さんも真剣に応援していました。
テレパシーは表面的な成功よりも実力などの方を見ます。大会で勝ったとか負けたとかではなく、悦ネエたちははっきりしない状況をはっきりさせる本物の実力をテレパシーに示しました。この映画は記録にも記憶にも残らない実力のある人たちがテーマなのかもしれません。
現代日本人の来世平均はウジ虫だと言われています。先人の努力の上にあぐらをかいて、わかりやすいことだけやり、弱い相手と戦って勝った負けたと騒いでいるようではそうなっても仕方ないでしょう。
Shall We ダンス?について
そういえば Shall We ダンス? についてテレパシーは「フックが弱い」と言っていました。フックというのは物語の導入の部分で、視聴者の心をかぎ爪のようなもので引っかけるイメージでしょうか。 Shall We ダンス? の詳細について見たのが昔すぎるためあまり覚えていません。
- 電車から見えたダンス教室の窓辺に美人な女性が見えた
- 心惹かれるままにダンス教室に行くと女性がダンスの先生だとわかった
- 主人公がダンス教室に通うようになる
たぶんこんなだったような。
テレパシーが言いたいことは以下のようなことだと思います。
- 先生のダンスがあまりにうまいことに主人公が気がつく
- 先生と比べると自分はあまりにも体が堅い
- 先生と比べると自分はあまりにも姿勢が美しくない
- 先生は複数の動作を同時にできるのに、自分は一つの動作も満足にできない
- 先生はいつもストレッチ等の練習をしている
以上のようなことにほとんど一瞬で気がついて、一気に魅了される展開なのか何かが必要だと言っているのでしょうか。内容を思い出せないのでよう分かりませんわー。
まとめ
- 罪深き肉食者が死後に備えて、人格や記憶等を別の脳に送るための送信媒体(ボート)をうまく扱えるように訓練する話≪終末解釈≫
- 1976~1977年当時の若い女性と若い男性の関係が悪魔によって壊され始める兆候が見られる≪呪術解釈≫
- 若い男たちが親世代と比べてサボり始めている(死後守ってもらいきれない)ことを感じた女子たちが自助努力(自分の身は自分で守る)をする≪魔術解釈≫
- 悦ネエやコーチは自分の女性としての幸福を捨てるくらい意地を張り、努力し、結果として人格や記憶等を別の脳に送るための送信媒体(ボート)の社会的役割を見事に果たした≪神話解釈≫
女性の幸福が犠牲になり始め、同時に日本人の出生率もこの時期からはっきり下がり始めるようです。肉食をやめると隕石が地球に落ちてきづらくなり、地球温暖化問題も高い確率で解決し、アニメ漫画問題も解決しやすくなり、社会主義はうまくいき、核廃絶がうまくいき、軍事縮小がうまくいき、ついでに出生率も回復します。
悦ネエやコーチの超能力のタイプは私と同じ願望実現能力なようです。さすが人気な超能力なだけあってフィクションの中でホイホイ主人公に起用されます。もう少し不人気な超能力者も主人公にしてあげてもらいたいです。そうすると願望実現能力者本人に使用されるクオリアが増えて、調子が回復するでしょうから。
※追記4:テレパシーによると悦ネエたちはボートをこいで上流を目指すと、養蜂家のイケメンと出会うそうです。アイドルとか栄養士が虫と関連があると言われているので、それ系でしょう。しかもイケメンとは。悦ネエが願望実現能力だとすると、来世虫に産まれる人たちの願望に縛られて自分のやりたいことが何もできなくなっている可能性が高いです。養蜂家と出会うことによって虫たちの願望から解放され、自分のやりたいことができるようになるのでしょう
神話解釈は別の記事シリーズでも書いています。
アイキャッチ画像は👀 Mabel Amber, who will one dayによるPixabayからの画像
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